自分一人だったら、起こり得ない問題が、子育てしていると頻繁に起こったりするもんです。
自分の子育てはどうして上手くいかないのか、自分はダメな母親なんだと、何回落ち込んだことか。
でも、落ち込んでいいんですよ、泣いてもいいんですよ、だって母親なんだもん。
真剣に悩んでいるからこそ、子育てに悩んだり落ち込んだり、時には辛くて心が締め付けられることだってあるんです。
辛い子供のトラブルで落ち込むのは当たり前!
子育てしてると、自分一人だったら悩まないような直面にぶちあたるんです。
私も子供の色んなトラブルに直面してきました。
そしてその度に落ち込んで、食欲もわかず、涙こらえて、なんにもやる気が起きず、ひどいと子供を怒鳴りつけて、『お前があんなことするからだ!』って攻めて(今思うと、とってもひどいことをしてました)・・・。
☆娘が幼稚園入園前、仲良くなったお友達を、理由もなく叩いたり、つねったりしてた時期、ママ友から『うちの子が嫌がっているから、もう遊ばないね。でも応援しているから、もっと子供の気持ちに向き合ってあげて』と言われたり。
☆入園式当日、そのお友達の近くに娘がいたら、お友達のパパが、あからさまに『あっちで他のお友達と遊ぼうね』と娘のそばから、離れたり。
☆息子が友達の自宅そばにあった、コンクリの避け目で背中を思い切り傷付けて、痛くて大声で泣いたら、近所の目が気になるから、早く連れ帰ってほしいと言われたり。
☆登校班で、騒いでいて、みんなの迷惑になっている、他の子供が嫌な思いをしていると言われたり。
☆登校班の班長になって、しばらく班の集合時間に遅れるようになってしまい、『何分まで待って来なければ、他の子を班長にして先に行かせるね』『早く登校班編成にならないかな』『次の班長になる子は、しっかりしているから安心だ』と言われてしまったり。
☆仕事を始めてしばらくして、子供が登校渋りになり、仕事を辞めて付きっきり。その後数カ月して、登校できるようになった日に『お仕事始めたのがよくなかったんだよ』と言われたり。
他にもあげたら、キリが無いほど、相手のお母さんの言葉がグサグサッと心につきささったり、無気力になるほど落ち込んだり・・・。
もちろん、分かってるんです、我が子の行動に問題があって、こうなっているってことは。
相手の保護者が、一言言いたくなる気持ちも分かるんです。
だからこそ、余計に落ち込むんです。
自分の子育てや人間性が否定されたような気がして、へこむんです。
- なんで、我が子はこんなに色々問題を起こすんだろうと・・・。
- なんで、他の子みたいにちゃんとできないんだろうと・・・。
- なんで、うまく子育てできないんだろうと・・・。
- なんで、我が子はうまく立ちまわれないんだろうと・・・。
- なんで、私の望むように動いてくれないんだろうと・・・。
なんで、なんで、なんで・・・・・。
子供達が、ちゃんと生活してくれて、外で問題を起こさず、喧嘩したりしなければ、母親である私が、批判的な言動を受けずに済むのに・・・。
なんで、なんで、なんで・・・・・。
- 私の子育てが、間違っているの?
- 私の子育てが、子供の気持ちに寄り添ってないの?
- 私の子供達は、心が満たされてないの?
そんな自分で自分を責めるようなマイナスの考え方で、頭の中は一杯になります。
だけど、十数年、子供のトラブルのたびに、辛いと落ち込んで、悩んで、行きついたことがあります。
子育てで落ち込むのはあたりまえ
落ち込むのは当たり前
それは、子育てで落ち込むのは誰でも当たり前、ということ。
- 自分じゃないからね、
- 意思を持った一人の生き物を育てているんだからね、
- 自分とは別の人格を持ってるんだらかね、
- 産まれ育った環境の他に、子供の素質もあるんだからね、
うまくいかないことがあって当然だし、落ち込んで当然。
他のママが落ち込んでいないのは、落ち込むタイミングが違うだけ。
今は、いい子で悩みが無くても、後で辛いことにぶち当たるかもしてないし、子供が大人になってから、大きな壁にぶち当たるかもしれない。
たまたま、今、自分が子育てで落ち込んでるだけだと思います。
それに、落ち込むのは、それだけ、子供のことに心を砕いている証拠と思います。
気にしているのは、他人からの批判
子供のトラブルのことで、ずずーんと落ち込みまくったとき、私は一体なにに落ち込んでるんだろうって、考えたことがありました。
で、思い当ったのが、
子供の行動がひどい→他の子供に迷惑をかける→相手の親に嫌な思いをさせる→相手から自分への批判的な言動
ここじゃないかなと。
要は、子供の言動を通して、周りから悪く思われたり、傷つく態度をとられることが、辛くて落ち込んでるんじゃないかなと、思い当りました。
有名なアドラー心理学でも、すべての悩みは人間関係に由来すると言っているんですね。
もちろん、我が子の行動も悪いんですよ笑
子供の言動に心を痛めているんだとは思いますが、どこか心の片隅で、周りの目を気にしているところはありませんか?
周りの反応が気にならなくなると、目の前の我が子の問題行動の問題点に、頭や心を向けられるようになります。
辛い時どうすればいい
何もしない時間を持つ
これはとても必要です。
無理して明るくすると、傷ついた心の回復が遅くなります。
息子の登校渋りを通して学んだことは、心の傷や病気も、身体のキズや病気と同じくらい休みは必要ということ。
心が落ち込んでいるってことは、心が傷付いてSOSを出しているから。
仕事や子育てで難しいかもしれないけれど、できれば、何も考えず一人でぼーっとする時間を作ってほしいです。
私は、買い物帰りの車の中で、1時間、ボーっとスマホを見続けたことがあります。
どうでもいいくだらないサイトだったり、他人の人間関係のお悩み相談だったり。
でも、そういうなんのメリットもないような、無駄な時間が、実は心の回復にはとても必要なんじゃないかなと思います。
ひたすら落ち込む
人は落ちるところまで、落ちれば自然に浮上してきます。
昼間から、布団で寝ちゃってもいいし、床に突っ伏してみてもいい、とにかく落ち込むこと。
私は、深い穴の底でいつも体育座りをしている自分を想像してます笑
心が折れてもいいんですよ。
骨は骨折すると、補強されてさらに強くなると聞いたことがあります。
心が折れたら、折れっぱなしじゃありません。
心が折れたら、ゆっくり休む。
そうしたら、折れた骨が修復するように、折れた心もゆっくり修復されます。
しかも、トラブルという名の経験が補強材になってくれて、折れる前より頑丈になっていたりします。
だから、とことん落ち込んでなにもしないっていう行動は、傷ついた心や身体や細胞が他のことにパワーを使わなくてすむから、回復が早まる究極の治療法じゃないかなって思います。
他の子と比べない
これ、私がよくやりがちだった失敗。
あそこの子は落ち着きがある、あそこの子はいつも身ぎれいにしている、あそこの子は穏やかでいつもニコニコしている、あそこの子は・・・
って、気付くと他の家の子のいいところ、ばかり考えてる。
それで、うちの子はこれもできない、あれもできないって、ダメダメ批判をしちゃってます。
でも、これって自分がされたら嫌なことですよね。
それにそれに!我が子だって、他の子にない、いいところありませんか?
うちの子だったら、カレイを包丁でさばけるし、お菓子作り得意だし、私が疲れていたら気遣ってくれるし、絵が得意だし、クラスでまとめ役だし、ピアノが得意だし、ママが作るお菓子は外れがない!って友達に自慢してくれるし、クラスメイトの喧嘩を仲裁するし、私がいないところでも挨拶をはっきりできるし、敬語をきちんと使えるし・・・
他人のいいところを1つみて、我が子のいいところを9個失っちゃったらもったいなくないですか?
一番は自分と家族
今生きている時間は、限られています。
どんなに悩んでも泣いても怒鳴っても、一生で使える時間は限られているんです、親も子供も。
だったら、自分や家族が幸せになることに時間を割いてみませんか?
私が悩みに悩んでいたころ、気付いたら、いかにトラブル相手の親子が満足してもらえるか、に身も心も捧げていた時があったんですね。
もちろん、悪いことをしたら謝るのは大切だし、行動を改めることも必要です。
だけど、相手の言動ばかりを気にして行動していたら、自分の大切な時間は相手のモノになってしまうし、相手が自分の人生の主役になってしまいます。
悩みは時が解決してくれる
思い返してみてください。
今まで色んな悩みに直面しても、乗り越えてこられたから、今ここにいて、新たな問題に直面しているのではないでしょうか。
悩もうが悩まなかろうが、問題に立ち向かえば、解決することは多いです。
私が先にお話したトラブルも、全部解決してきたから、次の新しい問題に出会うんですよね。
もちろんいい結果に終わったものばかりじゃないです。
けれど、大概はあんなこともあったなって思えるし、好転してトラブル前よりさらによくなったこともたくさんあります。
まとめ
当たり前のことだけど、人間が生きられる一生なんて、みんな同じ。
そして、長ーい地球の歴史の中では、ほんの一瞬のことです。
私が子供によく話すのは、今日無事に生きていられるのは奇跡なんだということ。
明日も、今日と同じように生きていられるかは分からない、だから今日を思いっきり楽しんでほしいんです。
自分が辛いと思って生きている今日が、昨日亡くなった人からすれば、喉から手が出るほど欲しかった明日であり、未来なんですよね。
じっくり落ち込んで心が回復したら、また自分と家族の幸せのために、笑顔で前に向かって一歩を踏み出してみませんか?
ダメダメ一家でもいいじゃないか、そんな私たち家族をいいと思ってくれる人もきっといるはず!
そう思って、今日も前を向いて歩いて行こうと思います。
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